12月の中旬に年賀状を書いた。現場取材から内勤に変わって丸2年が経過したことでもあり、顔を合わせる機会がなくなった競馬関係者に年賀状を出すのを控えようかとも考えた。接点がなくなったことに加えて、人との交流が多い多忙な彼らの立場を考えたから。しかし、届いたあとで慌てて投函するのも失礼な行為であり、相手から届かなくなった時点で私自身が出すのをやめればいいと決断。これまで通りに年賀状を出すことにした。今年も元旦に届いた年賀状のなかには競馬関係者のものが何枚かあって、前年と比較してもその数は減っていなかった。出しつづけて正解だったとホッとひと息ついた瞬間でもあった。
きちんとした文面がまじめな人柄をそのまま表現している松永幹夫クン、例によって家族三人の写真がほほえましい藤田伸二クンと続くなか、例年とは違っていたのが四位洋文クンの賀状だった。牧場の片隅にひとりで坐り込む彼と、その姿を包み込むようにして鼻面を寄せる数頭の若駒たち。そんな素敵な場面の右下に“今年もたくさんのお馬さんたちとめぐり会えますように……”との言葉が添えられている。去年までのここ数年間はひとり娘の七海(ななみ)ちゃんの写真ばかりが送られてきていたのに。
1991年に新人騎手としてデビューした頃の四位はシャイで目立たない若者だった。しかし、少年時代から続けていた乗馬で身に付けた正確な騎乗技術と、ペリエやアンカツを羨ましがらせた天性のあたりの柔らかさでグングン頭角を現し、2000年には年間100勝を突破。堂々とトップジョッキーの仲間入りを果たした。
ここ2年は年間85勝、73勝(JRA限定)にとどまり、2000年当時ほど勝てなくなった四位に対する批判の声は、私の周囲で根強い。「綺麗に乗ろうとしすぎる」「勝負に対する執念に欠ける」といったように。才能を持つ人間だからこそ、周囲の要求が厳しいものになるのは当然の結果でもある。繊細な理想主義者の彼のこと、パーフェクトに乗れたかどうかを追求するのか、それとも、あくまで勝ち星だけを求めるのかで、ここ数年は彼自身の気持ちが揺れ動いていたのではないかと想像する。
昨年の後半から騎乗ぶりに変化の兆しが現れてきた四位。顕著な例として、馬の気持ちを最優先するのではなく、3角から仕掛けて自分の騎乗馬でレースを作るようになったその姿に、ここ2年の混迷から抜け出した彼を感じる。そして、新年に届けられた新しいスタイルの賀状。
「昨年の後半から騎乗に切れが戻ってきたな。今年は新しい四位が見られそうなので楽しみ」―これは私が彼に届けた賀状の言葉。今年の四位洋文には大いに注目していただきたい。
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