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「100勝を超えたあたりで『目標達成ですね』ってよく人に言われたけど、いくつ勝ちたいなんて考えてもいなかったこと。その気持ちはこれからも変わらないと思う。レースなんて乗った騎手のほとんどが勝てないわけだし、勝ち負けよりも馬の力をちゃんと引き出してやれたかなということを考える。勝てる馬なのに下手に乗って負けることも少なくないし、なかなか思いどおりにはいかないけど、それが競馬なんだから」
2003年を振り返るといろんなことがあった。17年ぶりとなるスティルインラブの牝馬三冠達成や、武豊の年間200勝突破など、素晴らしい記録が次々と誕生したが、個人的には東海公営から中央に移籍した安藤勝己騎手の活躍がいちばん印象に残っている。
地方騎手として孤独な挑戦を続けていたアンカツが晴れてJRA所属となって10カ月が経過した。彼は中央と地方の壁に風穴をあけただけでなく、次々とその存在をアピールした。彼の功績はJRA所属騎手のレベルがどの程度のものなのかを競馬ファンに冷静に判断させられたこと。もちろん、短期免許で来日するオリビエ・ペリエやケント・デザーモといった外国人騎手たちの活躍も素晴らしかったが、競馬先進国からやってくる彼らは、日本人騎手よりもうまくて当然という意識が見る側にあった。しかし、地味で目立たない地方騎手だったはずのアンカツが中央の舞台で胸のすく活躍を見せる。この事実は競馬ファンにとって、ひとつのカルチャーショックだったことだろう。
「中央入りした当初は無意識のうちにも結果を出そうと焦る気持ちがあったのかもしれない。いまになってみれば俺らしくないなって思うけれど(笑い)。あたりまえだけど、それなりに周囲に対して気も遣っていたしね。あっという間の一年だったけど、とにかくいまは乗れるだけで楽しいから、この気持ちがある限りは馬に乗り続けられるかなと思っている」
例年だとひと夏を丸々海外遠征で過ごしていた武豊が2003年は国内での騎乗に専念して、自身の年間最多勝記録を大幅に更新。インタビューで「安藤さんの移籍はひとつの刺激になりました」と語っている。一方、若手育成を目的としたJRAの減量騎手制度も、時代の変化に対応すべく内容の見直しが決定した。安藤勝己の中央移籍は彼個人の環境を変えただけでなく、中央競馬そのものをも変化させつつあるのは間違いない。
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競馬ブック編集局員 村上和巳
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