2回京都初日のメインレースにサイモンセッズという馬が出ていた。この馬名を聞いて1960年代半ばに全米でヒットした1910フルーツガムカンパニーの曲だと即答できる人は、おそらく40代後半か、それ以上の年齢だろう。レース結果は10着で、アップテンポで乗りのいい独特の曲調を再現できなかったのは残念だった。
その昔、私が好きだったのはタイムラインという馬名。園田競馬場で走っていたアラブの強豪(後に種牡馬としても大活躍)で、その語感に圧倒的な強さも加わり、私なりの壮大なイメージが完成。しばらくは嵌まっていた。同様に「新聞に大きな活字で取り扱われるような馬に」との願いが込められた伝説の馬テンポイント(実際のテンポイント活字はそう大きなものではないが)も、好きな名前のひとつだった。馬名というのは、馬が走り出すとひとり歩きし、その競走成績次第でイメージがどんどん変化していくから不思議であり、また楽しい。
競馬に関わり合うようになって真っ先に気になったのは、ラフオンテースという名前。どう考えても語源は仏語のラ・フォンテーヌ(泉)だろうに、登録の時点での手違いかラフオンテースになっていた。同様のケースだったのがソフティースケート。本来は英語のソフィスティケイト(洗練された)が語源なのだが、登録段階のミスでそうなったとか。ラフオンテースは個性派牝馬として重賞をいくつも勝ったが、ソフティースケートは未勝利のまま引退した。もし、オーナーの意図どおりに正確な名前で登録されていたとしたら、それぞれの人生(馬生)も変わっていたのではないかと考えてみたりする。
競馬に首を突っ込んだ頃から、その由来とか語源を考えるのが好きだったこともあるが、馬名というのは競馬文化の一端を担っていると表現しても過言ではないと思う。最近は首をかしげてしまう馬名も少なくないが、もっとラフィナート(洗練された−イタリア語)な思考で、ファンのイメージがふくらんでいくような素敵な名前を増やしてほしいものである。ちなみに、私が応援していたラフィナート号は7戦1勝で競走生活を終えたが、馬名と見事に調和した鹿毛の馬体は、今でも克明に記憶に残っている。
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