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トップロード人気とは

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◆トップロード人気とは

 1月19日、思い出深い京都競馬場でナリタトップロードが引退式をした。22日には早来の社台スタリオンに移動して種牡馬生活に入るという。昨年の有馬記念のファン投票で2位のシンボリクリスエスに1万票近くもの差をつけて堂々の第1位に選出されたナリタトップロード。その人気とは、いったい何だったのだろう。

 いつもひたむきに駆ける姿。なのに、G1にはなかなか手が届かなかった。3歳秋に菊花賞を勝ってからというものは、G1レースでは実に11戦全敗。丸3年間も負け続けたのだ。そんな姿を見ると、切なくて物悲しい。そんな判官びいきの心理がファンを揺さぶったのかも知れない。しかし、それだけではなかったと思う。トップロードの背に跨って苦楽をともにしてきた渡辺薫彦(くにひこ)騎手。彼を抜きにこの馬を語ることはできない。

 渡辺薫彦は1994年3月1日付けで沖芳夫厩舎所属の新人騎手としてデビュー。同期の新人たちが次々と初勝利を挙げるなか、4カ月近い月日が流れる6月26日まで、彼は勝てなかった。東西の同期9人の新人のなかでは9番目という遅い初勝利だった。それから4年が経過し、地味な騎手生活を送っていた渡辺の前に登場したのがナリタトップロードだった。父親が内国産のサッカーボーイという地味な馬と、騎手としては無名の渡辺。このコンビが1999年の皐月賞、ダービーでその存在を強烈にアピールしたのである。G1といえば武豊とサンデーサイレンスをイメージするのが常識。そんなエリートの世界に真っ向から挑戦し、見事に菊花賞を勝ったトップロードと渡辺のコンビに、自分の人生を重ねて声援を送るファンも少なくはなかったと思う。

 もちろん、地味で目立たない騎手だった渡辺にチャンスを与え続けた沖調教師にも拍手を送りたい。「競走馬だけでなく、騎手、調教助手、厩務員。そういった人材を育てるのも、調教師たる我々の使命」普段からそう話していた同師。現代では希薄になりつつある師弟関係の素晴らしさを思い出させてくれたナリタトップロードの活躍は大きな意味があったと思う。人間が手がけてこそ、素晴らしいサラブレッドが誕生するのだから。


競馬ブック編集局員 村上和巳


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