日本馬の水準が世界的に見てもトップクラスに比肩するに至ったと見られる決定的なきっかけとなったのが、98年のシーキングザパールによるモーリスドギース賞(G1)の勝利だったろう。その後タイキシャトルがジャックルマロワ賞(G1)を勝ち、エルコンドルパサーもフォワ賞(G2)、サンクルー大賞(G1)を立て続けに制したのち、凱旋門賞(G1)2着。以後アグネスワールドがアベイユドロンシャン賞(G1)、ジュライカップ(G1)を優勝するに至っては、もはや日本馬が欧州の重賞を勝っても誰一人驚きはしなくなった。特に短距離においては圧倒的な強さを見せつけてきている。幾度かの経験を積んだことにより、調教師も勝つための技術的知識、情報、物事のやり方を学習してきた結果でもある。
もっとも、日本で調教した外国産馬がその主戦であっただけに、内国産馬で挑んで勝利するまでは、世界水準に到達したと声高に話すには憚られるかも知れない。香港やドバイで活躍した内国産馬は池江厩舎のステイゴールドとトゥザヴィクトリー、共にサンデーサイレンスの産駒であった。そのことからも、欧州でG1を勝てる候補馬を世に送り出してくれる種牡馬は、何をさし置いてもサンデーサイレンス以外ないだろうと、非常に大きな期待がその身へ寄せられたのだが、種牡馬としては盛りの16歳にして夭折しようとは痛恨の極みである。
先にエルコンドルパサーに去られ、今またサンデーサイレンスとの別れを迎えた。夢想だにしなかったことが次々と襲いかかってくる。競馬ジャーナリストの奥野庸介氏によれば、サンデーサイレンスの死の知らせは即刻世界を駆け巡り特に、マーケットに与えた衝撃の計り知れない大きさを伝えている。今はただ、偉大な数々の業績を称え感謝しつつ、静かに冥福を祈ってあげるだけだ。
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