02年デビューの騎手は西が5名で東3名。先陣を切って初勝利を挙げたのは関東の井西だった。前日に中山では2鞍騎乗し、いずれも先行したものの完敗に終わっている。翌日は阪神へ遠征、通算4戦目で初勝利。結構落ち着いた捌きをしていた。
関西所属の一番乗りは南井が飾った。1〜2週目で都合18戦した。2着3回、3着4回のあとで巡ってきたチャンス。メイショウメイジンと叩き合いになったクラフティスズカは、頭の上げ下げで優劣の入れ替わる息詰まる接戦を繰り広げている。芹沢との追い比べで最後まで交わすことができずクビ差の逃げ切りを許した悔しい経験が次につながっていた。
武豊のデビュー時は、そんなに騒ぎ立てられていたという記憶がない。周囲が注目し始めた頃は、既に傑出した力量で一歩も二歩も先を歩いていたような印象が強い。偉大な父を持つ二代目の宿命で、いわれのない諸々の重圧を課せられ一人で背負って行かねばならなかった諸先輩は少なくない。南井は注目度でいえば福永並みのよう。
先輩ジョッキーも容赦はしない。外から被せて押さえ込みにかかったり、競り込んで行ったり、矢継ぎ早やに南井の実力の値踏みを試みてくる。どの世界にも共通してある“出る杭は打たれる”譬え、降りそそぐ艱難辛苦を耐え忍びながらの成長の積み重ねこそが、目標とする父の域に近付くための唯一の手段だ。
夏競馬が終わる頃には見違えるほど逞しくなるのが1年生ジョッキーの通例ながら、中京6日目には何と特別3鞍のすべてにエントリーされるなど異例のモテよう。突出した騎乗機会の多さから、馬に勝たせてもらうことより、自分が勝たせたレースの比率の方が高い時期が意外に早くくるかも知れないが、反対に、ここでしくじりが目につくようだと、厩舎関係者はシビアに見限りをつけてくるから、一転して前途多難ムードにおちいってしまう。公平に見て、人気が先行し過ぎ実力がついて行けてないように思う現状では、時が至れば自然に伸びるであろう芽を、早くに摘み取ってしまいかねない危うさが底に潜んでいる。
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