“情熱の塊内藤繁春調教師”
9月25日の阪神競馬5日目第2Rで、サンライズシュート、マチカネムソウの2頭使いをした内藤繁春調教師(68歳)は、68年3月に開業して以来、JRAの出走回数が通算10787回となり、これ迄の最多出走回数記録10785回を更新して歴代第1位となった。 内藤師は開業した初年度で31勝し、いきなり関西の17位になり、翌年51勝で関西5位、全国では8位へと躍進している。更に70年、71年と連続して全国の3位の座を占め、非凡な厩舎経営手腕が遺憾なく発揮された。馬房制度の制定された72年以降、急激に勝ち鞍は減り、順位の上で低迷する時期があったものの、78年より再び活気を取り戻すや、長く20勝以上を堅持してベストテン上位常連として君臨していた。取りわけ、79年ハシハーミット、ハシクランツによる菊花賞ワン・ツー・フィニッシュの快挙は、京都がスタンド改築工事の為に阪神競馬場で施行されたいわく付きで忘れられぬものだったし、91年の有馬記念で、飛ぶ鳥をも落とす威勢だったメジロマックイーンを封じ込め、単勝13,790円の波乱を演出したダイユウサクも傑作の1頭であった。 戦国の武将織田信長、豊臣秀吉、徳川家康それぞれの性格を表現している有名な文句がある。それに例えれば、師は秀吉タイプ。“鳴かぬなら、鳴かしてみせようホトトギス”だそうだ。じっくり時間をかけて仕上げるより、使いながら成長を促す“動かぬなら、動かしてみせよう”という攻めの姿勢で馬造りに励んで来られた。この方法は、一方でオーナーの経済的な負担の軽減に少なからず貢献している。定年まで余すところ1年半ほど、残り少ない期間の中で、もう1度GIに挑戦したいと、衰えを知らない情熱の塊みたいなご仁。内藤先生の話でした。 編集局長 坂本日出男
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