編集員通信


再考が必要な宝塚記念施行時期

 95年迄は、7月から中京競馬に移り、8〜9月と小倉競馬が2開催続き、秋になって阪神へ戻ってくる。そこ迄の3カ月間をサマーシリーズと呼んでいた。96年に競走体系が整備されたのに伴い、中京と阪神競馬が入れ替わった。1カ月開催がズレたことで、皐月賞、ダービーと歩んで来ていた4歳のトップクラスがローテーション的には出走し易くなると予測され、暮れの有馬記念に対比されるファン投票により選出された豪華メンバーになるものと期待されていた宝塚記念であったが、いざ蓋を開けてみると旧態然とし、少しも状況は変わりはしなかった。

 改革初年度にヒシナタリーが挑戦している。それとて、クラシックに出走権のない外国産馬で、出られるレースが限定されているため、当然選択肢の中に入っていたはず。特に開催時期が変更されたことが出走の理由ではなかったろう。97年以降も4歳馬の出走はない。過去10年遡ってみても、4歳馬の出走は唯一、94年ダービー12着のあと挑戦、ここも12着に終わったイイデライナーだけである。

 4歳のトップクラスといえども、充実しきった5歳以上の古馬相手に、クラシックで完全燃焼した直後の対戦では勝てる可能性は少ない。それに、ここを使うと、秋に向けての充電期間が短縮される等、成長期にある若馬にとってはリスクが大き過ぎる。4歳トップクラスの参戦がない以上、時期を先送りしてまでやる必要性は非常に薄い。

 春の天皇賞から1カ月余りでここに直行して来れる、従来の6月施行に戻すことを真剣に考え直す時期に、今、差しかかっていると言えよう。

(編集局長・坂本日出男)

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