競走馬としては大井で6戦全勝。中央では皐月賞、宝塚記念他16戦7勝。ダービー、菊花賞を逸して三冠馬にはなれなかったものの、超A級の成績を残しているし、種牡馬としても、カツラノハイセイコ(ダービー、天皇賞)、ハクタイセイ(皐月賞)、サンドピアリス(エリザベス女王杯)等を出して功なり名を遂げていたハイセイコーが4日、心臓マヒの為に死亡した。31歳であった。ハイセイコーブームを起こし、年間入場人員1400万人を動員する原動力になり、競馬の大衆化へ多大な貢献をしていた。
5月18日には、北海道新冠の「レ・コード館」にて葬儀がとり行われる。馬の葬儀は、個人では古くから行われていたかもしれないが、一般ファンをも対象とした告別式となると、1978年3月に栗東トレセン厚生会館で営まれたテンポイントの式が初めてのことではなかったか。当日、北は北海道函館から、南は九州鹿児島まで、全国各地から駆けつけた1000名にも及ぶ熱烈なファンが埋めつくした会場は、足の踏み場もない混雑ぶりであった。42日間にわたる闘病生活。歯をギリギリ噛んで痛さを我慢し、おとなしく治療を受けていた気丈なテンポイントの姿を思い浮かべながら、涙をこらえて別れを告げる高田オーナー、小川調教師の弔辞が人々の胸を打った。馬にではなく、人に対するにも似た関係者の接し方であった。各方面からハンデキャップレースへの問題提起があり、競馬番組作りの再考を促すことにもなった。古傷をつつく積もりはない。名馬の死に接して、ついつい思い出したことだ。
ついでと言っては何だが名馬の業績を称える方法に、競馬の殿堂入りがある。それとは別に、馬名を冠した記念レースがもっとあってもよいはず。シンザンや、カブトヤマ記念のような……。一定の条件さえ整えてやれば、粗製乱造は避けられるし、ファンにも好意的に受け入れられるのではないだろうか。
編集局長 坂本日出男
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