“人に馬に優しい「ユー」の旅立ち”
今年度の新規騎手、調教師合格者の発表が9日にあった。同時にJRAの現在の繁栄の礎を築いて来た名プレイヤーにして名トレーナーでもあった野平祐二、伊藤修司師等の名も、定年のために免許を更新しなかった人の名簿の中に見られた。来る人があり、往く人がある年度末。新規調教師の中で最年長者が湯窪幸雄さん。彼との出会いは1968年、当時厩舎が京都、阪神、中京の3場に分かれていた頃の阪神競馬場。柏谷富衛厩舎に所属していた。厩舎取材記者として阪神所属の全厩舎を担当していた関係から、顔はよく知っている。ただ、調教師のいない時には、調教助手だった師の弟さんがスポークスマンとして取材の相手を務めていたし、見習いジョッキーから聞くことは許されていない時代なので、直接仕事に関する会話はなかったように思う。頻繁に話すようになったのはここ10年ぐらいだろうか。栗東へ厩舎が集結してから橋田俊三→伊藤雄二→湯浅三郎厩舎と移って現在に至っている。調教では、彼が乗るとどの馬も一様に気持ち良さそうに走る。従って時計も速くなるし、動きも素軽く見える。それは体重が軽いせいばかりでなく、当たりの柔らかさとかいろいろあるのだろう。つい過大評価して失敗したことが1度や2度でなかった。不思議なことに、稽古に乗れば抜群の彼も、実戦だと良績が上げられなかった。騎乗馬に恵まれないことが第1。次いで、勝負師としての容赦ない厳しさ、良い意味での狡猾さが欠けていたこと。つまり優し過ぎたのだ。今年の誕生日が来れば50歳になる“ユー”。今度ダメならもう調教師は諦めなければならないと覚悟を決めて臨んでいた。合格の喜びはひとしおだが、定年迄の実働期間は、最も若い同期と比べると半分になってしまう。いっ時たりとも回り道が許されない。随分待たされたが、辛抱強く、人に優しく、馬にも優しい持ち味の生かされる時がやっと来た。“もう調教師やから“ユー”とは呼べないなア。さしづめ“さっちゃん”かなァと聞くと、「よしてよ他人行儀な、ユーはユーでしょう」と笑う。厩舎開業は1年後の予定。どんな厩舎を作り、どんな馬を育てて競走場に送り出してくるのか楽しみ。社台レースホース大阪事務所の所長湯日氏も“同じ湯の字、久しく親しくさせて頂いてましたし、うちの良駿をぜひ引き受けていただきたいと、早速お願いに上がるつもりです”と。 編集局長 坂本日出男
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